私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『アフターダーク』 村上春樹

2007-10-01 21:27:41 | 小説(国内男性作家)

日付が変わろうとしている深夜の時間帯、ひとりの女性、マリがデニーズで本を読んでいた。そのテーブルを通りかかった男が彼女に声をかける。同じ時間帯、マリの姉のエリが眠り続ける部屋に、何かが侵入し始めていた。
ひとつの夜を舞台に闇と光を描いた、村上春樹の長編小説。
出版社:講談社(講談社文庫)


世間的には本書の評価は低いけれど、今回再読してみて、やはりそこまでけなすほどひどいものとは思わなかった。確かに地味ではあるが、ストーリーテリングの上手い春樹だけあり、再読でも充分に楽しんで読むことができる、優れた作品に仕上がっている。

人気のない理由のひとつかもしれないが、本書ではそれまでの春樹の文体とは異なっている。
「私たち」という人称で、カメラアイという中立的な視点を用いており、できるだけ感情を排そうとしているのがわかる。そういった感情を殺した文体が象徴しているかもしれないが、ここではいままでの春樹作品以上に、暴力の気配が濃厚である。それにうまくなじめない人も中にはいるだろう。

またいくつかの伏線が回収されていないのも問題かもしれない。たとえばテレビの向こうにいた顔のない男のことは何一つ明かされないし、眠る姉についても詳しい描写はなされていない。
しかし僕はそれが特別、問題のあることとは思わなかった。
それは「海辺のカフカ」で使われた手法と同じで、あるエピソードのメタファーがほかのエピソードのメタファーを投影しているだけでしかない。
だからたとえば顔のない男と姉のエピソードは、暗喩とシンボリズムという程度の意味しかなく、それに対する詳しい説明を求めることはこの作品ではあまり意味のないことだ、と思う。
全体のストーリーの中で、それがどのような意味を成すのかを読み取ることだけが重要なのだ。

そういう風に考えて読めば、物語自体はシンプルなものだ。人を容易に傷つける世界と、温厚で平和な世界とを分ける境界のあいまいさを描いているのだ、と僕は思う。
たとえば普通のサラリーマンの白川は女性中国人を痛めつけるし、成功しているように見える浅井エリは自分の望む通りに周囲に溶けこめず苦しんでいる。それは方向性こそ違うが、穏やかに暮らしている人間を苦しめるということで共通している。
そうした普通に暮らしている世界と、悪意ある世界との壁は「はりぼてのぺらぺら」かもしれないし、「すとーんと下まで抜けてしまう」ものかもしれない。それにマリと中国人の女の子ように状況が違うだけで否応なく、あっち側に取り込まれてしまう場合だってある。そしてそういった理不尽からは「逃げ切れない」ことだってあるのかもしれない。
それは実際に現実にあることだし、恐怖すべきこの世界の闇でもあるのだ。

だからこそ、自分のことを思ってくれる他人の力が、あるいは誰かを思うという行為が必要なのではないだろうか。
そうそれは村上春樹の別の作品「蜂蜜パイ」の最後の言葉がすべてを表しているだろう。
「夜が明けてあたりが明るくなり、その光の中で愛する人々をしっかりと抱きしめることを、誰かが夢見て待ちわびているような、そんな小説を」。
マリがエリを抱きしめているラストはまさにこの言葉を象徴している。春樹の意思と方向性と、その暖かなテーマ性を感じさせるラストではないだろうか。

ややこじんまりとまとまりすぎている気もしなくはないが、この暖かな予感は胸に響くし、読後も悪くない。
やはり「アフターダーク」はもう少し評価されてしかるべき作品だ、と僕は思う。

評価:★★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの村上春樹作品感想
 『海辺のカフカ』

 『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』
 『若い読者のための短編小説案内』
 『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』 (河合隼雄との共著)

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4 コメント

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私もそう思います (メガネ)
2009-01-02 23:34:36
仰られる様に、アフターダークはもっと評価されても良い作品だと私も思います。
人気の作品に比べると、ストーリの起伏や明暗、時間の長さの様な事柄が小さい・短いからでしょうか。

久しぶりに読み返して、やっぱりいい作品だと思いました。
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コメントありがとうございます (qwer0987)
2009-01-03 14:12:19
はじめまして。コメントありがとうございます。

ハルキストゆえの贔屓目もあるかな、とちょっと思いながら書いたのですが、共感してくださる方がいて、うれしい限りです。
アフターダークにはシンプルゆえのおもしろさがあると思います。
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ヒントありがと (チョコ)
2013-03-18 17:43:19
 「人を容易に傷つける世界と、温厚で平和な世界とを分ける境界のあいまいさを描いている。(「顔のない男と姉のエピソード」については軽く流してよい。)
 をこの作品を理解する上でのヒントとすることができました。村上春樹作品は初めて。  「世界から猫がきえたら」を読んだことがきっかけで村上作品にも挑戦してみようかな、という気になりました。
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コメントありがとうございます (qwer0987)
2013-03-19 21:48:53
チョコさん、コメントありがとうございます。
適当に書いているだけですが、何かの参考になったのなら、幸いです。
『世界から猫が消えたら』は結構気になっている小説なのですよね。なんとなく読みたくなってきました。
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